#11 Twitterの話と人との距離感の話

 タイトルどころか書きたいことすら特にないまま書き始めました

 

こんにちは、僕です

 

先日、思うところがあってアクティブに使っていた唯一のTwitterアカウントを

削除しました。

 

やはり、知り合いに読まれている前提で書ける文章は外行きの文章で

本当に思ったままを書けていたわけではなくて

むしろ、SNSは本来知り合いに読まれている前提で使うものなのかもしれませんが

なんとなく、窮屈さを感じ続けてきました

 

結局なんだかんだというか案の定というか、今回もアカウント削除してしまい

「次こそは思いついたままのことを、誰の目も気にせずに書き殴りたい」

という心持ちで、心機一転アカウントを作り直しました。

 

知り合いには教えず、かといって鍵垢にしてしまっては閉鎖的なままなので

オープンアカウントのまま好き勝手思ったことを書いたり書かなかったりしています

 

ここのところ、友人と連絡を取っていると「何の話だよ」と

自分の書いた文章や、自分がふっかけたやりとりを読み返している時に

感じてしまうことが多くなりました

 

人との距離感というものは難しいもので、

さらに「適切な距離感を維持しなければ」であったり

「距離感を読み誤って、嫌われたり違和感を感じられたら悲しいな」であったり

そういった懸念から、人とやりとりをする上で、どうしても

自分の発言に細心の注意を払ってしまいます。

 

それが特別仲の良い友人であれ、普通の友人であれ、同性であれ異性であれ

細かな理由は違えど、一概に肩肘を張ってしまいます

 

心のどこかで、「相手にとっての自分」という、相手から抱かれる印象について

よく思われたい気持ちはあれど、それ以上に嫌われたくない 違和感を与えたくない

そういったマイナス面での気持ちが強く

多くを語らないように あくまで聞き手側に回るように そういったことを

良くも悪くも、常々意識してしまっている気がします。

 

なので、流れがあれどなかれど 自分側から自分のことを多弁に語ってしまうと

内容がどうだとか、構文がどうだとか、言い回しがどうだとか

色んな理由で自分の文章に気持ち悪さみたいなものを感じてしまい

「ああ、やっぱりペラペラと喋らない方が良かったなぁ」と

後悔してしまいます

 

距離感を保ちたい理由は

「自分にとってその人との距離感は今のままが適切だから」

ではなく

 

「相手にとって自分との距離感はこうであるべきであろう」

という、相手本位の尺度を勝手に想定して、勝手に維持しようとする一面と

 

「本当はもっと踏み込んだ関係になりたいけど、それを望んだせいで嫌われたり、そこまでいかずとも良くない印象を与えてしまいたくない」

という、程度の低い保身のような一面の二つがある気がします。

 

 

Twitterだと140文字の制約があまりにも窮屈で、基本的にこのブログを使う時は

 

Twitterに何かを書きたい→書き始める→書き始めたら止まらない→連投みたいになってしまって変だ→だったらまとめて書き殴れる場所を選んだほうが良い

 

といった流れが多い気がします。

 

なんだか、すごく孤独です

 

結局僕は最後まで孤独なままなのでしょうか

 

諦めきれないのかな 孤独に生きてそのまま死んでいく覚悟を決めてしまったほうが

楽なのかもしれないよ

 

今日の一曲「karen-o/the moon song」